意外と知らない真実。
このようなことが起こっていたようです。
1880年代前半に大蔵卿(1885年の内閣制度にともない大蔵大臣)の松方正義が緊縮財政を行い、それまで濫発されていた不換紙幣を償却し日本銀行を設立して銀本位制を実現させた。緊縮財政の結果、デフレ不況となった。(松方デフレ)
浜口雄幸首相と井上準之助蔵相が緊縮財政を行い、1930年に円切り上げ(円高)となる旧平価で金本位制に復帰し(いわゆる金解禁)、デフレ不況となった。
世界恐慌下のアメリカにおいては、当初、財政均衡主義が主流だったため、ビルト・イン・スタビライザーの効果が低下し、デフレスパイラルに陥った。設備投資はほぼ壊滅的とも言えるほど減少し、失業率が25%に達した。
第二次世界大戦後、1949年に超均衡予算を中心とするドッジ・ラインが実施されて、デフレ不況(ドッジデフレ・安定恐慌)が起こった。
急激な利上げと総量規制による貸出の制限でマネーサプライの伸びがマイナスになるほどの引締め政策でバブル経済が崩壊した1992年以降、ディスインフレ(物価上昇率の低下)の傾向を示すようになり、1997年の消費税等の増税・歳出削減などの緊縮財政により消費者物価がマイナスになり、デフレの様相を呈するようになった。1997年に発生したアジア通貨危機やこれに続いた日本の金融危機も原因として挙げられている。日銀による2000年のゼロ金利政策解除や2001年の国債30兆円枠による緊縮財政などの経済政策の失敗により、デフレ不況がさらに激しくなった。
1990年代から21世紀初頭に日本において見られた資産価格のデフレーションは、主に中央銀行(日本銀行)の金融引き締めがその原因の一つであったと考えられており、1990年代以降の日本の経済停滞(いわゆる「失われた10年」)の相当部分は、日銀の金融引き締めに端を発した資産デフレに責任があるとする向きもある。
デフレ期待を解消し停滞を打破するために量的金融緩和が開始された。この政策には、ゼロ金利の長期化が予想されることで中長期の金利を低下させる時間軸効果があるとされる。名目金利は0%までしか下げられず、デフレ下ではそれ以上の金融緩和ができない(流動性の罠)とされるが、インフレ期待などを通じた間接的な効果があるかどうかについては、様々な議論がある。
2006年では、2002年からの緩やかな景気回復により消費者物価指数ベースでのデフレ終了が見込まれているが、量的緩和解除が時期尚早でデフレが終わらない可能性を指摘する人もいる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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